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  • 人は、なぜ見た目で人を判断するのだろう?

    人は、なぜ見た目で人を判断するのだろう?

    そんなことを、引き続き横浜の美容室からの帰り道に考えていました。

    私たちは、初めて会う人の見た目から、さまざまな印象を受け取っています。

    優しそうな人。

    怖そうな人。

    話しかけやすそうな人。

    では、なぜ人は見た目から相手を判断しようとするのでしょうか。

    私は、その理由の一つに「自分にとって安心できる相手なのか」を判断しようとする心理があるのではないかと思っています。

    第一印象は、ほんの短い時間でも形成されると言われています。

    それほど、視覚から受け取る情報は私たちの印象に大きく影響するのでしょう。

    ただ、ここで一つ考えたいことがあります。

    それは、単に「他人からどう見られたいか」だけではなく、「自分の見た目と内面が一致しているか」ということです。

    例えば、穏やかな性格なのに、見た目から怖そうな印象を持たれてしまう。

    反対に、親しみやすそうに見えても、話してみると印象がまったく違う。

    もちろん、見た目だけでその人の性格を判断することはできません。

    しかし、外見と実際の人柄に大きな違いがあると、相手が戸惑ってしまうこともあるのではないでしょうか。

    私自身、以前から自分の見た目について考えることがありました。

    どちらかというと吊り目で、エラが張っている顔立ちをしています。

    そのためか、少し好戦的な印象を持たれることがありました。

    中学生の頃には、目つきが悪いという理由で因縁をつけられたこともあります。

    また、眼力が強いと言われ、相手を萎縮させてしまったと感じることもありました。

    そんな経験を重ねるうちに、自分自身も見た目の印象に引っ張られていた部分があったように思います。

    しかし、今の私は、できるだけ穏やかに人と接したいと思っています。

    話し方も、以前より柔らかくするように心がけています。

    そして、外見についても少しずつ工夫するようになりました。

    眉毛サロンに通ったり、エラのボトックス施術を受けたり。

    不自然にならない程度にメイクも取り入れています。

    それは、誰かに格好よく見られたいという気持ちだけではありません。

    自分の内面と外見の印象を、できるだけ近づけたい。

    そんな思いもあるのです。

    実際に、こうした工夫を始めてから、以前よりも人から警戒されにくくなったように感じています。

    もちろん、人の印象は外見だけで決まるものではありません。

    話し方や表情、立ち居振る舞い、そして日々の行動。

    それらが重なって、その人らしさが伝わっていくものだと思います。

    だからこそ、美容とは単に外見を美しくすることだけではないのかもしれません。

    自分がどんな人間でありたいのか。

    そして、その自分らしさをどう表現したいのか。

    そんなことを考える機会にもなるのではないでしょうか。

    自分の内面と外見に、少しずつ一致感を持たせていく。

    そんな視点から、美容を楽しんでみるのも面白いかもしれません。

  • 人は、なぜ他人を変えようとするのだろう?

    「人は、なぜ他人を変えようとするのだろう?」

    そんなことを、横浜で美容室に行った帰り道に考えていました。

    人が他人を変えようとする理由には、大きく分けて二つのパターンがあると思っています。

    一つ目は、純粋に相手のことを思う気持ちから。

    「こうした方が、この人はもっと生きやすくなるのではないか」

    そんな思いやりから、相手に変わってほしいと願うことです。

    二つ目は、自分にとって都合の良い形に相手を変えようとすること。

    自分の価値観に合わせてほしい。

    自分の思いどおりに動いてほしい。

    そんな気持ちから、相手に変化を求めることです。

    こうして文章にすると、その違いは明確に見えます。

    しかし、実際にはそれほど単純ではありません。

    なぜなら、人は自分自身がどちらの気持ちで行動しているのか、案外わかっていないこともあるからです。

    相手のためだと思っていても、そこには自分の都合が混ざっているかもしれない。

    反対に、自分の希望を伝えることが、結果として相手のためになることもあるでしょう。

    では、その違いはどこにあるのでしょうか。

    私は、そこに「愛」があるかどうかが大切なのだと思います。

    そして、その愛は、相手の意思を尊重できるかどうかに表れるのではないでしょうか。

    たとえ自分が良いと思うことでも、相手が同じように思うとは限りません。

    それでも相手の選択を尊重できるなら、そこには思いやりがあるように感じます。

    一方で、自分にとって都合の良い方向へ相手を変えようとすれば、たとえ本人が気づかなくても、その姿勢は周囲に伝わることがあると思います。

    そして、気づかないうちに自分自身の信用を失ってしまうこともあるのかもしれません。

    もちろん、人が人に変化を求めること自体が悪いわけではありません。

    時には、誰かの言葉が人生を変えるきっかけになることもあります。

    ただ、誰かを変えたいと思った時には、一度自分自身に問いかけてみたいものです。

    「私は、なぜこの人に変わってほしいのだろう?」

    それは本当に相手のためなのか。

    それとも、自分のためなのか。

    そして何より、相手が変わらないという選択をした時、その意思を尊重できるのか。

    人を変えようとする前に、まずは自分自身の心と向き合ってみる。

    そんなことも、大切なのかもしれません。

  • 人は、なぜ役目を終えたものを手放せないのだろう?

    「人は、なぜ役目を終えたものを手放せないのだろう?」

    長距離ランニングをしながら大愚和尚の一問一答を聞いていました。

    その動画では、40代の男性からの相談が紹介されていました。

    25年勤めた会社で仲間だと思っていた人たちとの関係が崩れ、半ば自主退職する形になったそうです。その際に「99%の社員はあなたのことを嫌っている」と相談者が言われたと動画内では語ってました。

    そこで大愚和尚はお釈迦様が唱えた「筏の例え」を出しました。

    大海原を渡るために、人は筏を作ります。
    苦労して海を渡った後、その筏には当然愛着も湧くでしょう。
    しかし、役目を終えた筏まで背負って陸を歩く必要はない。
    そんな教えでした。

    その話を聞いて、私にも少し似た経験があると思いました。やはり私も執着があるし、消化できてない部分もあります。

    それはきっとそれでも楽しかった日々、彼らを仲間だと思ってた日々がありそれが苦しめるのではないのかと思います。
    繋がりがしがらみに変わるイメージです。

    ただ、大愚和尚は幸運なことに新しい岸へと移動出来たのだから、今までの経験だけを持っていけば良いと言っていました。

    確かに今までその大海原を渡った経験は確実にあります。前を向いてその経験だけを持っていこうと私自身も思えました。

    まだ完全に手放せたわけではありません。それでも、これまでの経験だけを持って、新しい海を渡っていこうと思います。

  • 人は、なぜ続けていることに愛着が湧くのだろう?

    「人は、なぜ続けていることに愛着が湧くのだろう?」

    そんなことを引き続き愛猫の定期診断の待合いをしながら考えてました。

    その継続に対しての習慣性に愛着が湧くのではないかと思います。
    習慣化するには始めたキッカケがあり、そこには思いが乗ります。

    例えば私は夜ランニングやブログ、地域活動を習慣としています。
    以前は一日のほとんどを仕事に使っていた自分を見直したことがきっかけです。

    一つの物事に全力投球することが大事な時もありますが、視野が狭くなる危険性もあります。
    そのため、仕事を1日の70%の中では全力で頑張り、30%はプライベートを充実させるようにしています。

    そういう思いや考えがあり、継続に愛着が生まれてるのだと思います。
    だから、何かを続けることに迷った時は、始めた時の気持ちに一度戻ってみるのもいいのかもしれません。

  • 人は、なぜ一日の終わりに身体を動かしたくなるのだろう?

    「人は、なぜ一日の終わりに身体を動かしたくなるのだろう?」

    そんなことを愛猫の定期診断の順番待ちをしながら考えてました。

    人間も身体を持つ以上、ある程度は身体を動かす時間が必要なのではないかと思います。
    運動自体は朝しても良いし夜でも良いのだと思います。

    私が夜にランニングする理由を考えた際に3つの利点があるからです。

    ①美容的な観点から日光を避ける夜を選んでいます。ここが一番大きな理由でもあり、紫外線対策を考慮してます。

    ②仕事の終わりであれば1日の風呂に入る回数が1回で済みます。もし、朝ランニングした場合、出社前に汗を洗い流すために1回、仕事終わりに1回と計2回体を流す必要性が出てくるので、効率があまり良くないように感じます。

    ③一日の出来事を整理できることです。私の場合は、走りながらその日の出来事を振り返ることで、頭が少し静かになり、その後の睡眠にも入りやすく感じます。

    私にとってランニングは、身体を鍛える時間であると同時に、一日の思考を静かに片づける時間なのかもしれません。

  • 人は、なぜカフェに味以外のものを求めるのだろう?

    「人は、なぜカフェに味以外のものを求めるのだろう?」

    そんなことを考えながら夜のランニングをしていました。

    先日、高校時代の友人と古民家カフェについて話してました。

    友人が大学時代に聞いた話では、寺社仏閣では敷地内を移動する過程そのものが、日常から非日常へ切り替える仕掛けとして機能していたそうです。

    確かに私は古民家カフェを好み足を運びます。
    私は、味そのものよりも、その空間を求めて足を運んでいるのだと思います。

    ここのカフェは面白いシステムで原則1時間まで中学生以下は入店禁止となっています。そのため、店内は静けさと心地よいBGMに包まれていて、自然と読書が進みます。

    私にとってカフェは、コーヒーを飲む場所というより、日常から少し離れて自分の思考を整える場所なのかもしれません。

  • 人は、なぜ自分なりのルールを作りたくなるのだろう?

    「人は、なぜ自分なりのルールを作りたくなるのだろう?」

    そんなことを考えながら甍という喫茶店へ向かっていました。

    マイルールがあった方がルーティン化しやすいのではないかと考えます。
    イチローが長く高いパフォーマンスを維持できた理由の一つに、ルーティンの徹底があったのではないかと思います。

    物事がうまくいく再現性を持てれば、いわゆるその道のプロに近づけるのだと思います。

    そんな私自身のルール付けの導入だけ説明します。
    前提として私は営業という人とコミュニケーションを取る仕事をしてます。
    会社で決められたプロダクトで多くの売上を作ることが営業の本分と置いた時に物事の捉え方や柔軟性が重要になります。
    そのため、営業中に100%のパフォーマンスを発揮できるように設計しています。

    ルールの中身に関してはここで説明すると本分から外れてしまうので、別の回でまた書いてみようと思います。

    私にとってルールとは、自分を縛るためのものではなく、迷わず目標に近づくための道しるべなのかもしれません。

  • 「人は、なぜ自分を整えたくなるのだろう?」

    「人は、なぜ自分を整えたくなるのだろう?」

    そんなことを考えながら行きつけの甍という喫茶店へ散歩ながら向かってました。

    タイトルで「人は」書いておいてなんですが、整えたくなるかはかなり人によるものだと思ってます。

    私は整えることに外観と内面のどちらにも良いものとしてるからです。

    「健全な魂は健全な肉体に宿る」ということに繋がってます。

    外観的には身なりが整っていれば信頼と好感を持たれやすくなることがある。

    少なくとも見た目で苦労することは少しでも減らそうという考えです。

    内面はブログを書いたり小説を読む。サウナでととのうのもそうですが、自分の思考を整理しています。

    こうやって人と会話する時に感情に揺さぶられないようにしています。

    アドラーはこの世の悩みのほとんどは人間関係に起因すると言われてます。

    そのため、私は悩みが起こりにくい状態をつくるように整えてるのかもしれません。

  • 人は、なぜ制限がある方が楽しめるのだろう?

    「人は、なぜ制限がある方が楽しめるのだろう?」

    そんなことを考えながらカプリチョーザでパスタを食べてました。

    制限に価値があるという考え方になったのは本当に小さなきっかけでした。
    私は営業職という仕事柄、お昼はコンビニで買ったものを車内で食事をしてました。
    そんな私は無類の麺類好きで毎日のようにコンビニで麺類を買って食べてました。

    そんなある日気が付きました。
    そのパスタを食べるという行為が幸福で行ってるものではなく栄養を摂る行為に下がってると。

    そこから至福な時間は制限があるから色づくものだということが私の中の一つ大きな価値観となりました。

    だから私は、我慢そのものを悪いものだとは思わなくなりました。
    我慢は楽しみを遠ざけるものではなく、楽しみをもう一度輝かせるための余白なのかもしれません。

  • 人は、なぜ片づけてから休みたくなるのだろう?

    「人は、なぜ片づけてから休みたくなるのだろう?」

    眉毛サロンに向かう道中でそんなことを考えながら歩いてました。

    自分自身で置き換えた時にやり残しに抵抗が大きいことが理由にあります。
    スマホで例えた時に広げすぎたブラウザやアプリを閉じるイメージです。
    脳内にやりかけのタスクがあるとずっと引っかかることを週次で整理しています。

    ここが引っかかってしまうと週末遊ぶ、休むのにタスクが引っかかってしまうと勿体無いので私は片付けるのだと思います。

    私にとって片づけることは、頑張るためではなく、休むための準備なのかもしれません。
    やり残しを閉じておくことで、ようやく週末を週末として楽しめる。
    だから私は、休む前に片づけたくなるのだと思います。